いっせーの,ライフオーガナイズ生活

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子宮腺筋症のこと(その12)~入院と手術

おはようございます。
ライフオーガナイザー®、メンタルオーガナイザ®ーのいっせーです。


前回(その11)
からの続きです。 (その1)はこちら。

今回は、入院から子宮全摘の手術が終わるまでの記事です。(とてもとても長文です。)
(自分の考えの整理と、記録のために、子宮腺筋症と子宮摘出手術に関連する記事を書いています。興味のない方は、スルーしてくださいね。)

入院の5日前に、私の実家から両親が来てくれました。
保育園の送り迎えをお願いするために、何回か母と私とで一緒に送り迎えをして、手順を引き継ぎました。

本当は、入院中の献立を考えておいて、あらかじめ母にお願いしておくつもりでしたが、仕事の区切りをつけるのを優先していたら疲れ果ててしまい、できませんでした。
病室からその都度メールでやり取りして、お願いすることにしました。

病院と自宅はとても近いので、ちょっとした忘れ物があっても届けてもらえるかな、くらいに思って、入院準備は最低限にするよう心がけました。
病衣を借りることにしたので、衣類はほとんど要りません。
基礎化粧品は詰め替えが面倒で、自宅で使っているそのままのものを持って行きました。
周りの本好きな方々から、「本を貸してあげようか?」と言っていただいていましたが、たぶん読みきれないと思うので、お気持ちだけ頂いて、自分の読めそうな分だけにしました。
必需品ではないけれど、入院期間の最後の方で使えるかも?と期待して、ノートパソコンも持参しました。
旅行用のキャリーケースは容量の半分くらい余裕がある状態でした。


入院初日は、朝いちばんの時間に来院して手続きをするように病院から言われていました。
当日は、月に一度のこども達のお弁当の日。母に手伝ってもらいながらバタバタとお弁当を作り、オットとこども達を見送り、ほどなく、父に車で病院まで送ってもらいました。
歩いても10分ほどですが、おことばに甘えることにしました。

4人用の病室には、先に入院していた方が1人。私が2人目。残りの二つのベッドは空いていました。
全体的に、病棟には空室が目立ちました。
それでも、家族が面会に来たときに、話し声が迷惑になるかもしれないと思い、「空いていれば個室を」とお願いしてありました。
入院当日は個室が埋まっていましたが、1,2日で空く見込みなので、そのときには病室を移動させてもらえることになりました。

入院翌日が手術ですので、入院当日はいろいろすることがありました。
・麻酔科医の診察と説明
・病棟の看護師と手術室の看護師からそれぞれ手術の説明
・シャワーで体を清潔にする
・手術の準備(おへその掃除とか・・・)

ところで、初日に同室だった方は、抗がん剤の点滴のための入院で、治療のたびに数日間、何度も入院されているようでした。
私の母と同年代くらいの「しゃん」とした話し方をなさる女性で、カーテン越しに、ライトのスイッチの場所など、病室の使い方を教えてくれました。
お互い主治医が同じと分かると、二人で主治医をほめちぎりました。
でも、その方は、病院の一連の問題の影響で、秋以降は転院しなければならないのだそうです。
せっかく信頼できる先生に出会えたのに・・・と残念そうでしたが、主治医が転院先を探してくれて、「ここなら大丈夫」と言ってくれたので、なんとか納得して転院するとのこと。
「あなたは、手術がんばってくださいね」と励ましてくれました。


話をもどして。
入院1日目(手術前日)は、24時まで飲食してよくて、その後は水も食べ物も摂ってはいけません、とのことでした。
好きなものを食べておこう、と、夕方までにお気に入りの板チョコを食べたり、紅茶を飲んだりしてみました。
ほんとはコーヒーを飲みたかったのですが、なんとなくやめておきました。
 
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翌日。入院2日目が手術の日でした。
午後から手術の予定でした。
夫と両親が病院に来てくれました。

午前中は、点滴のルート確保の後、水分補給の点滴が始まりました。
看護師さんが二人がかりでがんばってくれて、5回目のチャレンジで左手の甲に点滴の針を固定してもらうことができました。点滴のときはいつもこんな感じで、申し訳なくなります。

予定よりも開始が少し遅れるかもと言われ、かなり待つのを覚悟していましたが、1時間も待たずに手術室に行きました。
歩いて手術室に行くのが新鮮で、きょろきょろしながら入りました。
(前回の帝王切開のときは、おなかが大きくなりすぎていたからか、ストレッチャーで手術室に運ばれたような記憶があります。しかも病院の建て替え中で、病棟は新しくなっていたものの、手術室はまだ古い建物にありました。)

まずは麻酔から。麻酔科医は5年前と同じ方と、もう1人の2人で担当してもらっていました。
背中をえびのように丸めて麻酔の針を入れてもらうときに、右腰に痛みが走って、少しだけ不安な気持ちになりました。
それを私から伝えようと思うのと同時くらいに、麻酔科医からたずねてくれたこともあり、不安が和らぎました。
私の感じる痛みの強さを刻々と確認しながら、とても慎重に進めてくれたので、その後は次第に気持ちも傷みも落ち着いてきて、お任せする気持ちになりました。
(右側の腰付近の鈍痛は、完全になくなるまでには術後数日かかりました。)
手の甲からも麻酔薬の点滴が始まり、まもなく主治医がいらして、よろしくおねがいしますと挨拶したところまでは覚えていますが、その後はすぐに全身麻酔が効き、当然記憶はありません。

かなり長い間、名前を呼ばれていたのかな・・・?と思いながら目が覚めました。
少し朦朧とた状態のまま、病室に運ばれました。
両親は私が目覚めたのを確認してから、こども達を保育園まで迎えにいってくれました。
オットは、面会時間ぎりぎりまでついていてくれたようです。
私はとても疲れたような、全身が痛さで腫れぼったいような感覚で、寒くもないのに
カチカチと音を立てるほど歯の根が合わず、オットと話したくても歯がカチカチするばかり。
手術中のどに入っていた管が外された後、声が出しにくくなることが多いと術前に聞いていて、そのとおり声がかすれてほとんど出ませんでした。
苦いよだれが次々出てきて、これは飲み込まずに出すように言われていましたので、
まるで内緒話みたいな声でオットにお願いして拭いてもらいました。
オットには、病室での時間がとても長く感じたのではないかと思います。


オットが家に戻ってからは、私にとってもとにかく長い夜でした。
おなかが痛くて痛くて、楽な体勢を見つけようと、痛いのをこらえて寝返りを打ったり。
うとうと程度しか眠れず、数え切れないほど時計を見ました。
でも、全然時間は経っておらず、早く朝が来ないか、まだかまだか、とじりじりしました。
背中に痛み止めの薬を入れるルートが固定されていて、痛みを感じたら自分の手元にあるボタンで薬を入れてよいことになっていましたし、手の甲からも痛み止めの点滴をしてもらっていたのですが、この日はとにかく痛かったです。
下腹部から太ももまで響くような痛みでした。背中と腰も、痛かった・・・
ようやく少し寝つけたと思ったら、気を抜いてしまったのか、不用意に寝返りを打って、せっかくの点滴の針が抜けてしまい、未明にナースコール・・・
針が入らなかったらどうしようと不安になりましたが、看護師さんの奮闘で再度点滴の針が入り、ほっとしました・・・
看護師さんにも同室の人にも申し訳ないと思いつつ、この夜は余裕が全くありませんでした。


遅すぎる!とちょっと恨みごとを言いたくもなりましたが、朝は来てくれました。
ほんとうに、よかった・・・と思いました。
痛いけれども、状態が夜の間よりも少し良くなっているような気がしました。

朝のうちに、麻酔医2名と主治医が相次いで顔を見に来てくださいました。
主治医は「やられたー・・・って感じでしょう。痛かったでしょう。」とおっしゃって、なんというか、まさに「やられたー・・・」って、そのとおりでして、痛いながらもちょっと笑ってしまいました。
術後48時間はきついと思いますが、そこを乗り切れば段々楽になるはずですよ、とのお話でした。
手術がとてもうまくいったことも改めて聞いて、ほっとしました。

そういえば、主治医には話しませんでしたが、「摘出後の子宮を見たかったな」という考えがこの後しばらく頭の中に残りました。この考えは、このあと1か月ほどかけて消化しました。

次回は、術後の入院生活のことをまとめておこうと思います。 


by green_kerorians | 2017-09-06 07:00 | からだのメンテナンス