いざ、仙台。

ハラハラしましたが、なんとか仙台に着くことができました。




毎年12月に開催される、日本ライフオーガナイザー協会の年次総会、カンファレンス。


今年は仙台市で開催されるのです。




オットに相談し、「行ってきたらいいよ」と背中を押してもらい、昨年の高松に続いてフル参加することに決めました。




ホテルは3か月前に押さえ、飛行機も2か月以上前に予約しました。


飛行機は19時発にして、出発の日は早めの時期にに休暇を申請しておきました。




ここまでは、よかったのですが。




仕事の忙しさを言い訳に、毎日子どもと寝落ちをしてしまい。


かといって、早起きもできない日々が続き、どうにも準備が捗らず、とうとう出発当日になってしまいました。


持ち物リストすら完成していないところからのスタートです。




職場を早退して昼過ぎに帰宅し、出発時間を設定。


タクシーを予約しようと電話するも、朝からの大雪で予約を断られてしまいました。


タクシーを呼ぶ時間を設定しておき、やることリストと簡単な時間割を決めてから、準備に入りました。




まず、持ち物リスト作り。


昨年のリストを元に、少し修正しました。




週末の洗濯をしながら、持ち物を揃えてキャリーケースに詰めます。


着ていく服装も決めていなかったので、あーだこーだと組み合わせて、どんどん時間が過ぎていきます。


なんとかパッキングまで終了。




洗濯物を干して




そうそう、名刺の不足分の印刷もまだ。


どうせなら、修正しようかと始めてしまったのが、失敗でした。




途中でソフトが数回フリーズし、やり直している間に、タクシーを呼ぶ電話をするのが予定よりも30分も遅れてしまいました




相変わらず雪は降り続けていて、タクシー会社にはいつ行けるかわからないと言われてしまいました。


諦めて、ふかふかに積もった雪道を、キャリーケースを転がさずに最寄り駅まで歩きました。




結局、予定していたよりも、3本遅い快速に乗りました。


雪の影響を心配しましたが、幸い、定刻の発車でした。

予定どおりに着けば、空港に着いてから約45分あるのでなんとか間に合うはず。



でも。


途中で徐行運転となり、とうとう空港の手前の駅ですれ違いの電車の通過待ちのためさらに遅れが。


結局10分以上遅れて空港に着きました。




荷物を預けるカウンターも、手荷物検査場も、行列になっていなかっので、機内へ案内される時刻の5分ほど前に搭乗口に着きました。


飲み物も買えて、ホッとしました。




飛行機は20分遅れで無事仙台空港に着陸しました。ほっ。


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まずは、なんとか来られてよかったです。




一瞬、焦るあまりに胃が縮むような気分になりましたが、以前よりは普段の自分に早めに戻って、「急ぐけれど焦らず、少し落ち着いて」行動できたようにも思います。



明日と明後日、たくさん学び、たくさん交流したいと思います。


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今日から始まった、光のページェント。

すばらしかったです。

見に行ってよかった。

ご一緒してくださったこずさん、ありがとうございます。


# by green_kerorians | 2017-12-08 23:45 | 「時間」のオーガナイズ | Comments(0)

おはようございます。
ライフオーガナイザー®、メンタルオーガナイザ®ーのいっせーです。


前回(その12)
からの続きです。 (その1)はこちら。

(自分の考えの整理と記録のために、子宮腺筋症と子宮摘出手術に関連する記事を書いています。興味のない方は、スルーしてくださいね。

今回の記事は、手術の翌日から退院までの記録です(前回以上に長文です。)。

手術翌日を1日目として、順調なら7日目に退院する予定でした。
知り合いの方で、「術後4日間くらいで退院できた」という人もいましたが、それはそれ。人それぞれ。
主治医の意見に従って、術後は無理せずに、病棟での7日間をしっかり使って帰宅後の生活に備えることに決めました。
入院時に、「入院診療計画書」のほか、退院までの治療や日中の過ごし方を1日ごとに分かりやすくまとめたシートを渡されます。
このシートを都度眺めながら、入院生活を過ごしました。


【術後1日目】
担当看護師さんのスキルの高さのおかげで、体も気持ちも後押しされた1日。
朝は、「下腹部から太ももにかけてとにかく痛い。こんなんで体起こせるんだろうか。」と、さすがの私も憔悴していました。
前日から顔を洗えていないし、喉の辺りがスッキリしなくて、咳払いしたいけれどおなかが痛くてできないしで、しょんぼりしていました。

入院したときから同室だった方は、この日の朝に退院していきました。
カーテン越しに、明るい声で励ましてくださいながら。
あのような人に、私はなれるかな、なりたいな、とぼんやり思いながら、カーテン越しにお礼を言いました。

担当看護師さんは、朝からこまめに病室に来て、この日の目標「立って歩けるようになる」までをサポートしてくれました。

朝早めの時間から、スタート。

まずは、飲食禁止が解除されて、水を飲んでみます。・・・なんとかクリア。
朝食は流動食でした。それほど空腹ではないのですが、半分くらいは摂ることができました。

看護師さんは、ほかほかのタオルをたっぷり持ってきて、電動ベッドを少し起こし、顔を自分で拭かせてくれました。
突然「美人の素はどこですか?」と言われ、??となりましたが、基礎化粧品があるならつけましょうか、という意味でした。床頭台の棚にあることを伝えると、手渡してくれました。
(オールインワンタイプのものを持ってきていて、よかった・・・)

次は、体を拭いてみることに。
体を起こす動機づけになります。
看護師さんに支えてもらい、ベッドに腰掛けることができました。
タオルを受け取り、自分で手の届く範囲は自分で。
届かないところは看護師さんがサポートしてくれます。

続いて、着替えをしてみます。
立ち上がる動機づけになります。
病衣の上衣を先に替えます。点滴がつながっているので、手伝ってもらいました。
ズボンを替える時に、恐る恐る立ち上がってみたら、立てました。
もう、そのときの痛みは忘れてしまっていますが、かなり痛かったと思います。
看護師さんに励ましてもらって、ひとつひとつクリアしていきました。

ここまでで、午前中終了です。
この後、トイレ付きの個室に移動させてもらえました。

午後は、病室についているトイレに行ってみることに。
歩くきっかけになりますし、これができれば尿道に入っている管を外してもらえます。
立つとおなかの傷が引きつれる感じがするので、おなかを手のひらで支えるようにして押さえながら立ち上がり、ゆっくり歩きました。
まだ点滴が続いていますので、もう一方の手はキャスター付きの点滴棒に掴まるようにして歩いてみました。
トイレまで行くことができたので、ついに管が外れてすっきりです。
そして、血栓予防のために手術前から履いていた弾性ストッキングも外してもらえました。

しばらくしてから、トイレで用を足すこともできて、一安心でした。
ただ、力を入れなくても、用を足すときにおなかのきずの真ん中辺りが内側に引きずり込まれるような感覚と痛みがあり、この感じは少しずつ和らぎながらも術後1か月近く続きました。

続いて、病棟内の廊下を、手すり伝いに歩く練習です。
片手はやはり傷を押さえるようにして、もう片方の手は手すりに。
まずはデイルームまで、次は本のコーナーまで、と看護師さんに付き添ってもらいながら、ゆっくり歩くことができました。

この日も、術後の感染防止のための抗生剤の点滴、痛み止めの点滴は続いていました。それでも傷周辺から太ももにかけての痛みは常に強いので、背中のカテーテルから時々痛み止めを入れ、ロキソニンなども服用しながら過ごしました。
看護師さんが、こまめに声を掛けてくれて、じわじわと元気が出てくるようでした。


【術後2日目】
この日の回診までに、背中のカテーテルから入れていた痛み止めのボトルが空になりましたので、カテーテルを抜いてもらい、少し身軽になりました。
カテーテルがなくなると、腰の右側が重いようなだるいような痛いような、という感覚もかなり薄らぎました。

熱は下がったと思ったら上がったりという状態でした。
お腹の右側が特に痛くて、右脚の付け根までじんじんと響く感じがします。
背中から入れる痛み止めがなくなったらどうなるかな、と思いつつ、抗生剤の点滴、鎮痛剤の点滴、鎮痛剤2種類の服薬が続きました。
この日の後半から、ようやく、鎮痛剤が効いてきた、痛みが収まる気配が出てきた、という感じがしてきました。

「1時になったら、デイルームまでお茶を取りに行くついでに病棟を一回りしよう」
「3時になったら、本を探しに本棚のコーナーまで行ってこよう」
と、次の行動を決めておくことを意識しながら過ごしてみました。
もともと、ぼんやり、のんびりするのは得意なので、退屈で退屈で・・・という「しんどさ」を、あまり感じずに済んだのかもしれません。

夕方、オットが保育園の帰りに、こども達を連れてお見舞いに来てくれました。
久しぶりに会うこども達は、少しあどけなく感じました。
息子は明るく、あっさりとした様子に見えましたが、娘は帰り際に大泣きしたまま、病室を出て行きました。
・・・思わずもらい泣きしてしまいました。
泣きたいときは泣いていいんだよ、と伝えて見送りました。

【術後3日目】
食事は、前日までに五分がゆ→全がゆと進んで、この日には普通のご飯になりました。
思わず「おいしいー」と声に出してしまうくらい、おいしく感じました。

午前中に点滴の針を外してもらえました。
点滴が終わったので、シャワーも使えて、スッキリしました。

いつかなと気になっていたガスも開通し、おなかの張りが少し楽になりました。

お腹周辺の痛みは、鎮痛剤を飲むと、ほとんど気にならないくらいまでになっていました。
術後48時間はしんどいけれど、それを過ぎれば・・・と聞いていたとおりだなあ、としみじみしていたら、 主治医が病室に寄ってくださいました。
「どうですか?」と尋ねられたので、私が現状を説明しようとすると、
その前に私の状況を全てすらすらと言い当てて、「・・・という感じでしょうかね?」と確認されました。
まさに、おっしゃるとおりですと答えたら、きっと予定どおりに退院できますね、と励まされました。

水分を摂ることと歩くことを意識して過ごしました。
病棟の本棚にあった、よしながふみの漫画「昨日何食べた?」を久しぶりに読んで、家に戻ったら料理がしたい!とやる気がむくむく。

この日は土曜日だったので、オットとこども達が病室に寄ってくれました。
退院予定の日がこども達の誕生日なので、ケーキを買ってお祝いしようと、宅配のサイトをみんなで見て、誕生日のケーキを決めました。
ますます、予定どおり退院しないと!


【術後4日目】
この日の日中以降は鎮痛剤の服用なしで過ごせるようになりました。

おなかを手で押さえるようにしないと心もとないのは相変わらずながら、歩くときにつまずくのでは?という不安は感じなくなってきました。
自分の病棟のある4階から1階まで階段を下りて、売店まで行き、また階段で4階まで上ってみました。
自分にとってはちょっとした冒険でしたが、手術前よりも息苦しくないような気がしました。
気のせいかもしれないけれど、貧血の解消は、今回の手術の大きな目的なので、少しずつ治ってほしいです。

この日には、術後初めてのお通じがあり、おなかが張っていて心配だったのでほっとした。
  
昼前、両親が病室に。高校野球の話や、子供たちの様子、父の亡き兄たちの話。
これまで何度も聞いてきたけれど、淡々と傾聴しました。

夕方に主治医が病室に寄ってくださって、「退院予定の日の前日に血液検査をし、結果に問題がなければ、その日に退院前診察をします」と話がありました。
階段の上り下りをしたことを話すと、ほめてもらえて、ちょっとうれしかったです。

面会時間の終わりの方で、オット1人で面会に来てくれました。
少しの時間でも、二人で話すことって、意外と少ないので貴重でした。
  
この日は、テニスのウィンブルドン開幕。
錦織選手の初戦を、病室で後半部分だけ見られて満足でした。

 
【術後5日目】
朝は4時半くらいに目が覚めました。

病室に、母が来てくれました。
「ちびちゃんたちはかわいいけれど、生活のペースが全く違うので、正直疲れることもある。
でも、こんなときに助けに来られなくては、何が親かと思って来ているんだよ。」
と話していました。
・・・そのことばを、素直に受け取ろうと思いました。

術後翌日の担当だった看護師さんが病室に寄ってくれました。
間違ってナースコールのボタンを押してしまったときに来てくれたのですが、ついでに様子を尋ねてくれました。
「自宅に戻ってからの生活を色々思い浮かべて、どんな風に過ごしたらよいか考えてみてくださいね。退院前の診察で、医師に術後の生活について質問したいことを考えておくといいですよ。」
とのアドバイスがありました。
・・・さすがです。
考える時間はたっぷりありますので、そうしてみようと思いました。

久しぶりにプロ野球中継を見てみました。
残念ながらファイターズは負け。
でも、気迫のこもった白村投手のピッチングを見られて、よかったです。
いいもの見せてもらったなー。勇気付けられました。


【術後6日目】
起床とともに採血がありました。

昼前に両親が病室に。
札幌移住の話はひとまず振り出しに戻った、と父が言っていましたが、「直前に言っていたことと真逆のことを突然決断する」という事態に毎回驚くことが多いので、これも淡々と傾聴しました。

この日、退院前診察に呼ばれたのは、夕食直前くらいでした。
もう呼ばれないかと思ったけどよかった・・・
外側(おなかの傷、縦に20センチくらい)と内側(産道の断端)、どちらの傷も順調に回復していると太鼓判を押していただけました。
診察までに質問したいことを考えてはいましたが、主治医からの一通りの説明でほぼ解決しました。
貧血の数値は、手術前よりも上向きになっていること。
炎症の数値も落ち着いており、感染症の心配がほぼないこと。
腹筋が手術前と同じくらいに回復するまでには約1年かかること。
無理はしないこと。とはいえ、どんどん動くこと。
極端におなかに力を入れたりしなければ、心配はないこと。
術後数か月は、傷を保護する「エフシート」というシリコーンのシートを使用するのがおすすめ。
そして、術後約一か月くらいの日に、経過をみるための診察を予約してもらいました。
でも、それまでの間に出血や発熱、傷の化膿などがあればすぐに受診するよう、指示がありました。

主治医曰く
「同じような子宮腺筋症の方は、ほとんどの方が、痛みに強いし、我慢もしてしまうようです。長年、強い強い月経痛に耐えてきたからなのかもしれませんね。でも、痛かったら無理せず処方した鎮痛薬を飲んでください。手術の前の説明をしたときに、だんなさんにも理解してもらえるようにかなり強調して説明しましたが、これまで月経のたびにしんどくて大変だったと思います。よくがんばりましたね。今後は、調子がよくなっていくといいですね。」
とのこと。

こんなに毎回「よくがんばりましたね」と折にふれて言ってもらうと、励まされるなー、と思いました。

いよいよ、翌日は退院です。
退院日は、予想外のいろいろがあったのですけれど、それはそれとして。
子宮全摘術までのリュープリン治療及び手術についての記録は、これにて一区切りです。
退院後にあった出来事、考えたこと、片を付けたことについては、また別の記事にしたいと思います。

# by green_kerorians | 2017-09-24 07:00 | からだのメンテナンス | Comments(0)

おはようございます。
ライフオーガナイザー®、メンタルオーガナイザ®ーのいっせーです。


前回(その11)
からの続きです。 (その1)はこちら。

今回は、入院から子宮全摘の手術が終わるまでの記事です。(とてもとても長文です。)
(自分の考えの整理と、記録のために、子宮腺筋症と子宮摘出手術に関連する記事を書いています。興味のない方は、スルーしてくださいね。)

入院の5日前に、私の実家から両親が来てくれました。
保育園の送り迎えをお願いするために、何回か母と私とで一緒に送り迎えをして、手順を引き継ぎました。

本当は、入院中の献立を考えておいて、あらかじめ母にお願いしておくつもりでしたが、仕事の区切りをつけるのを優先していたら疲れ果ててしまい、できませんでした。
病室からその都度メールでやり取りして、お願いすることにしました。

病院と自宅はとても近いので、ちょっとした忘れ物があっても届けてもらえるかな、くらいに思って、入院準備は最低限にするよう心がけました。
病衣を借りることにしたので、衣類はほとんど要りません。
基礎化粧品は詰め替えが面倒で、自宅で使っているそのままのものを持って行きました。
周りの本好きな方々から、「本を貸してあげようか?」と言っていただいていましたが、たぶん読みきれないと思うので、お気持ちだけ頂いて、自分の読めそうな分だけにしました。
必需品ではないけれど、入院期間の最後の方で使えるかも?と期待して、ノートパソコンも持参しました。
旅行用のキャリーケースは容量の半分くらい余裕がある状態でした。


入院初日は、朝いちばんの時間に来院して手続きをするように病院から言われていました。
当日は、月に一度のこども達のお弁当の日。母に手伝ってもらいながらバタバタとお弁当を作り、オットとこども達を見送り、ほどなく、父に車で病院まで送ってもらいました。
歩いても10分ほどですが、おことばに甘えることにしました。

4人用の病室には、先に入院していた方が1人。私が2人目。残りの二つのベッドは空いていました。
全体的に、病棟には空室が目立ちました。
それでも、家族が面会に来たときに、話し声が迷惑になるかもしれないと思い、「空いていれば個室を」とお願いしてありました。
入院当日は個室が埋まっていましたが、1,2日で空く見込みなので、そのときには病室を移動させてもらえることになりました。

入院翌日が手術ですので、入院当日はいろいろすることがありました。
・麻酔科医の診察と説明
・病棟の看護師と手術室の看護師からそれぞれ手術の説明
・シャワーで体を清潔にする
・手術の準備(おへその掃除とか・・・)

ところで、初日に同室だった方は、抗がん剤の点滴のための入院で、治療のたびに数日間、何度も入院されているようでした。
私の母と同年代くらいの「しゃん」とした話し方をなさる女性で、カーテン越しに、ライトのスイッチの場所など、病室の使い方を教えてくれました。
お互い主治医が同じと分かると、二人で主治医をほめちぎりました。
でも、その方は、病院の一連の問題の影響で、秋以降は転院しなければならないのだそうです。
せっかく信頼できる先生に出会えたのに・・・と残念そうでしたが、主治医が転院先を探してくれて、「ここなら大丈夫」と言ってくれたので、なんとか納得して転院するとのこと。
「あなたは、手術がんばってくださいね」と励ましてくれました。


話をもどして。
入院1日目(手術前日)は、24時まで飲食してよくて、その後は水も食べ物も摂ってはいけません、とのことでした。
好きなものを食べておこう、と、夕方までにお気に入りの板チョコを食べたり、紅茶を飲んだりしてみました。
ほんとはコーヒーを飲みたかったのですが、なんとなくやめておきました。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
翌日。入院2日目が手術の日でした。
午後から手術の予定でした。
夫と両親が病院に来てくれました。

午前中は、点滴のルート確保の後、水分補給の点滴が始まりました。
看護師さんが二人がかりでがんばってくれて、5回目のチャレンジで左手の甲に点滴の針を固定してもらうことができました。点滴のときはいつもこんな感じで、申し訳なくなります。

予定よりも開始が少し遅れるかもと言われ、かなり待つのを覚悟していましたが、1時間も待たずに手術室に行きました。
歩いて手術室に行くのが新鮮で、きょろきょろしながら入りました。
(前回の帝王切開のときは、おなかが大きくなりすぎていたからか、ストレッチャーで手術室に運ばれたような記憶があります。しかも病院の建て替え中で、病棟は新しくなっていたものの、手術室はまだ古い建物にありました。)

まずは麻酔から。麻酔科医は5年前と同じ方と、もう1人の2人で担当してもらっていました。
背中をえびのように丸めて麻酔の針を入れてもらうときに、右腰に痛みが走って、少しだけ不安な気持ちになりました。
それを私から伝えようと思うのと同時くらいに、麻酔科医からたずねてくれたこともあり、不安が和らぎました。
私の感じる痛みの強さを刻々と確認しながら、とても慎重に進めてくれたので、その後は次第に気持ちも傷みも落ち着いてきて、お任せする気持ちになりました。
(右側の腰付近の鈍痛は、完全になくなるまでには術後数日かかりました。)
手の甲からも麻酔薬の点滴が始まり、まもなく主治医がいらして、よろしくおねがいしますと挨拶したところまでは覚えていますが、その後はすぐに全身麻酔が効き、当然記憶はありません。

かなり長い間、名前を呼ばれていたのかな・・・?と思いながら目が覚めました。
少し朦朧とた状態のまま、病室に運ばれました。
両親は私が目覚めたのを確認してから、こども達を保育園まで迎えにいってくれました。
オットは、面会時間ぎりぎりまでついていてくれたようです。
私はとても疲れたような、全身が痛さで腫れぼったいような感覚で、寒くもないのに
カチカチと音を立てるほど歯の根が合わず、オットと話したくても歯がカチカチするばかり。
手術中のどに入っていた管が外された後、声が出しにくくなることが多いと術前に聞いていて、そのとおり声がかすれてほとんど出ませんでした。
苦いよだれが次々出てきて、これは飲み込まずに出すように言われていましたので、
まるで内緒話みたいな声でオットにお願いして拭いてもらいました。
オットには、病室での時間がとても長く感じたのではないかと思います。


オットが家に戻ってからは、私にとってもとにかく長い夜でした。
おなかが痛くて痛くて、楽な体勢を見つけようと、痛いのをこらえて寝返りを打ったり。
うとうと程度しか眠れず、数え切れないほど時計を見ました。
でも、全然時間は経っておらず、早く朝が来ないか、まだかまだか、とじりじりしました。
背中に痛み止めの薬を入れるルートが固定されていて、痛みを感じたら自分の手元にあるボタンで薬を入れてよいことになっていましたし、手の甲からも痛み止めの点滴をしてもらっていたのですが、この日はとにかく痛かったです。
下腹部から太ももまで響くような痛みでした。背中と腰も、痛かった・・・
ようやく少し寝つけたと思ったら、気を抜いてしまったのか、不用意に寝返りを打って、せっかくの点滴の針が抜けてしまい、未明にナースコール・・・
針が入らなかったらどうしようと不安になりましたが、看護師さんの奮闘で再度点滴の針が入り、ほっとしました・・・
看護師さんにも同室の人にも申し訳ないと思いつつ、この夜は余裕が全くありませんでした。


遅すぎる!とちょっと恨みごとを言いたくもなりましたが、朝は来てくれました。
ほんとうに、よかった・・・と思いました。
痛いけれども、状態が夜の間よりも少し良くなっているような気がしました。

朝のうちに、麻酔医2名と主治医が相次いで顔を見に来てくださいました。
主治医は「やられたー・・・って感じでしょう。痛かったでしょう。」とおっしゃって、なんというか、まさに「やられたー・・・」って、そのとおりでして、痛いながらもちょっと笑ってしまいました。
術後48時間はきついと思いますが、そこを乗り切れば段々楽になるはずですよ、とのお話でした。
手術がとてもうまくいったことも改めて聞いて、ほっとしました。

そういえば、主治医には話しませんでしたが、「摘出後の子宮を見たかったな」という考えがこの後しばらく頭の中に残りました。この考えは、このあと1か月ほどかけて消化しました。

次回は、術後の入院生活のことをまとめておこうと思います。 


# by green_kerorians | 2017-09-06 07:00 | からだのメンテナンス | Comments(0)

おはようございます。
ライフオーガナイザー®、メンタルオーガナイザ®ーのいっせーです。


前回(その10)
からの続きです。 (その1)はこちら。

(自分の考えの整理と、記録のために、子宮腺筋症と子宮摘出手術に関連する記事を書いています。興味のない方は、スルーしてくださいね。)

6月上旬にリュープリン注射の5回目と、手術日の変更、術前の検査が終わりました。
6月下旬に、オットと2人で手術についての説明を受けるための予約をしてもらい、病院に向かいました。
予約の時間はは11時半でした。
でもその日、診察室に呼ばれたのは結局15時を回っていました。


いつも混んでいる病院で、待ち時間は多めに見積もっていましたが、さすがに予想外でした。

前回の診察からこの日まで、半月ほどの間に、この病院がちょっとニュースになっていました。
ある事情で、産婦人科の医師が何人も辞職することになり、これまでどおりの診療体制が維持できなくなるという問題が持ち上がってしまっているという報道でした。
ひょっとして、その影響があるのかな・・・と思いました。
待合室には、妊婦さんや、私よりも深刻な病気を抱えている方もいるはずですが、皆さん辛抱強く待ち続けていました。

私の予約時間は午前の診療時間の最後の方ですので、オットとふたりで気長に待ちました。
診察まで時間が空くので、それまでの間に、入院についての説明を病棟の看護師さんから受けることができました。

14時になろうかという頃に、看護師さんが私を探しに来て、
「もう随分お待たせしているのですが、○○先生(主治医の名前)は、たった今、緊急の分娩が入ってそちらに行かねばならないので、もうしばらく時間がかかりそうです。まずはそれをお伝えしなくてはと思って。」
と声をかけてくれました。
その方は、5年前の出産のときにお世話になった看護師さんで、お互い見覚えがあって、その節は・・・とお礼を言うことができましたが、ずいぶん疲れている様子でした。


いよいよ診察室に呼ばれて、主治医から手術についての説明を受けました。
説明に先立って、最近の報道で色々と心配だったでしょうから・・・と、かいつまんで病院の現状を話してくださいました。
そして、
「でも、今回の手術の日程変更と、この件とは関係がないんです。手術はしっかりやらせてもらいますから、安心してください。」
とおっしゃっていました。
説明の内容は、
・現在までの病状
・手術することになった経緯
・手術までに行った治療とその効果
・どのような手術を行うのか
・手術に伴うリスク
・手術により期待できる効果
などを、わかりやすく丁寧に説明してくださいました。

これまで、私からもオットには説明していましたが、たぶん、オットにとっては数倍わかりやすかったのではないかと思われます。

「子宮は、これまでよくがんばってくれたけれど、腺筋症になってしまっているために、月経が困難になり、とてもしんどい状態になってしまっている。今までお疲れさまということで、摘出する」ということを、主治医の説明をオットと一緒に聞くことで、再度おさらいしてもらった形になり、私の気持ちも改めて整理されたように思いました。

手術の同意書は、すぐに署名するのではなく、一度持ち帰って熟読し、署名して入院の日に持参するように言われました。

朝一番からこの時間まで、途中、分娩に立ち会ったりしながらずっと診察してたと思われる主治医は、最後に、
「今日はお待たせしてしまって、本当に申し訳なかったです。説明も長くなってしまいましたが、どうしても、はしょることができない性分なものでね。」
とおっしゃっていました。
頭が下がるなー、足を向けて寝られないなーと思いました。

入院まで、1週間を切っていました。

# by green_kerorians | 2017-08-18 07:00 | からだのメンテナンス | Comments(0)

おはようございます。
ライフオーガナイザー®、メンタルオーガナイザ®ーのいっせーです。


前回(その9)
からの続きです。 (その1)はこちら。

(自分の考えの整理と、記録のために、子宮腺筋症と子宮摘出手術に関連する記事を書いています。興味のない方は、スルーしてくださいね。)

7月初めに開腹手術するなら、この夏はおとなしく過ごした方がよいことは確実です。
もともとインドア派でそれほど活動的ではない私ですが、切ったおなかをかばいながら、いつごろになったら、どれだけのことができるのか、よくわかりませんでした。
帝王切開したのは今より5歳若かった私ですから、そのときの記憶は遠のいているし、記憶があったとしても参考にはならないと思いました。

5歳のこども達にとって、5歳の夏は一度きり。
親の自己満足かも、と思いつつも、入院前に、少し無理してでも楽しいことをしたいと思いました。

体調はすぐれないながらも、いろいろ活動してみました。
・5月の連休に、私の実家に帰省しました。
 私の両親と、姉家族とで集まり、地元のプールや公園でたっぷり遊びました。
・連休の翌週にオットの地元に帰省しました。
 オットの地元は関西なので、飛行機での旅でした。
 法事もありましたので、親戚と一緒に初めてお寺での法要を経験したこども達でした。
・6月上旬に、トマムに1泊旅行に行きました。
 2歳の頃から毎年恒例になっているトマム。乗馬体験や、プールで楽しみました。
・6月中旬は、こども達の保育園の運動会が無事開催されました。
 お天気にも恵まれて、私の両親にも見に来てもらえて、こども達は大喜びでした。


入院は、8泊9日の予定でした。
オットは、なんとかなるよと言ってくれましたし、何でもできる人ではありますが、なんとかなっても、2人で回している生活を1人でするのが大変なのは事実です。
私の実両親にお願いして、入院から退院後1週間くらいまでの約半月間、我が家に泊まりこんでもらい、家事や保育園の送り迎えなどの手伝いをしてもらうことにしました。
病気休暇の期間中すべてを両親に助けてもらうと、職場に戻ってからがしんどくなるおそれがありました。
病気休暇の後半は、両親に頼らずに、少しずつ生活のペースを元に戻すために過ごしたいと考えました。

両親は、同じ北海道内ですが、車で5時間ほどかかるところに住んでいるので、手伝いに来ると言っても大ごとです。
それでも来てくれるのはありがたいことです。・・・毎回いろいろありますが、それは別の記事で。

保育園には、入院の半月くらい前には事情を伝えて、入院中と、退院後の病気休暇中も、こども達を預かってもらえるようにお願いしました。
私が退院後に自宅にいるからといって園に預けずに自宅でこども達と一日中一緒に過ごしても、ついつい体をかばって、こども達を十分遊ばせてやれないよりは、いつもどおり保育園で日中過ごしてもらった方が良いと考えました。
そのかわり、なるべく早く迎えに行けるようにしました。
保育園側も、預かることは全く問題ないです、お大事にしてくださいと言ってくれて、とても助かりました。

オットは、私がいない状態で私の両親と顔を突き合わせて過ごすわけなので、ストレスがないわけがなく・・・
でも、我慢強い性格のため、ほとんど愚痴らしいことは言いません。
できるだけ、私から、困っていることや行き違いがないかを聞くようにしました。

こども達には、入院の10日前くらいから、私の入院について話しました。
・入院する日と退院する日をカレンダーに書いて、予定を伝えました。
・入院すると、手術をしてもらって、病院でごはんを食べたり眠ったりするので、その間は家には帰れないことも伝えました。
・おじいちゃんとおばあちゃんが応援に来てくれて、保育園に迎えに来てくれたりすることも話しました。
・おなかを切って、病気だったところを取り出してもらうので、おなかの傷が治るまでは、できないことが増えるかもしれないことも話しました。
息子も娘も、自分なりに理解してくれていたように思います。

入院する日が近くなってからの入院準備は、別の記事にします。
お読みいただき、ありがとうございました。

# by green_kerorians | 2017-08-12 07:30 | からだのメンテナンス | Comments(0)